2000-03-14 第147回国会 参議院 国土・環境委員会 第2号
御承知のように、六四五年の大化の改新の後から、長柄豊碕宮とか、それから平城京とか平安京、そしていわゆる首都機能を移転したのは、平清盛が福原へ移しましたり、鎌倉へ源氏が移しましたり、それから江戸幕府を江戸へ移しましたりしまして、そのたびに私は日本というのはグレードアップしてきていると思いますものですから、二十一世紀の大プロジェクトというのは、私は首都機能の移転と。
御承知のように、六四五年の大化の改新の後から、長柄豊碕宮とか、それから平城京とか平安京、そしていわゆる首都機能を移転したのは、平清盛が福原へ移しましたり、鎌倉へ源氏が移しましたり、それから江戸幕府を江戸へ移しましたりしまして、そのたびに私は日本というのはグレードアップしてきていると思いますものですから、二十一世紀の大プロジェクトというのは、私は首都機能の移転と。
御承知のように、六四五年に大化の改新の後、大阪の長柄豊碕宮というのが、最初に官僚機構、このときに大蔵省というのが決まっておりますが、これが千四百年ぶりに財務省と変わるわけですから、それからまた平城京、それから平安京、それからまた今度は天皇陛下が京都にお住まいのまま鎌倉に幕府が、これがまず日本の首都機能の移転ではないかと思います。
平家の清盛も兵庫の港に移しましたし、六百四十五年の大化の改新の後に長柄豊碕宮に孝徳天皇のもとに日本の官僚機構はできたと言いますが、そのときの首都機能は天皇と一緒に大阪にあって、その百年後は平城宮、それから平安遷都、いろんなそのときそのときで日本の国の形態が大きく変わるきっかけになったのは、やっぱりそういう首都と首都機能の移転というのが私は重大な要素だったと思いますので、先生の御意欲に、大津に都があったこともつけ
首都の移転についてでございますが、現行法の規定を根拠に反対論を主張するのであれば、首都を東京に置くという法律がないこと、それから首都機能が事実上東京にあることを前提に置かれている規定は首都機能移転とともに改正されるべきものである、そういうことでございまして、かつて、一番最初の首都というのは、大阪、六四五年、これは御承知のように、大化の改新の後、孝徳天皇様が長柄豊碕宮というところに都をお定めになったのが
○説明員(清水康平君) 難波宮跡、ちょっと広い難波宮跡でございますが、広く聖武天皇のころの難波宮跡のほかに、孝徳天皇の長柄豊碕宮と両方出てきているわけです、御承知のごとく。それでその遺跡を掘りましたところが、場所によりまするけれども、当時の凝灰岩の雨落なども出てきております。それによって大極殿の大きさ、小安殿の大きさ、回廊というものがほぼ確実になってきたわけです。